2013/11/23

目覚めていたい


自分が与えられているものに
目覚めていたいなぁと思う。

それと同時に
自分が与えているものにも
目覚めていたいなぁと思う。

無償であることこそ美しいという
考え方があって
それは本当だと思うのだけれど

それがすべてではない。

わたしはこの数年
本当に欲しいものをずいぶんと自分で買えるようになった。
ありがたいなぁと思う。
そこに至るまでは長く険しい(?)道のりの時もあった(笑)

物欲だけ見ていると恐ろしいものがあるなと思うけど(笑)
この数年で買ったものは
どれもずっと宝物だし
いつ触れていても幸せになるものばかり。
いつまでも大切にしたいし
できれば
もしももらってくれるなら
私に何かあった時には
娘や息子や大切な人に託したいなぁと思うものばかり。

そしてそういうものを作り出してくれた作家さんなり
クリエイターさんたちを想う。
石については地球さんや宇宙さんにも想いを馳せる!(笑)
ものでなくても
たとえばわたしを元気にしてくれる
セラピストさんを想う。
いろいろなことを教えてくれる
先生を想う。
彼らはわたしをこんなにも幸せにしてくれるものを
愛を注ぎながら作ってくれたり
与えてくれる。

でもそれらを作るため、与えるためには愛だけでなく
お金だっているのだ。

自分もものを作っているのもあって
そういう部分はとてもリアルにわかる。
単に材料費や交通費や何かだけじゃない。
そのひとにインスピレーションを与えるのは
あらゆることなのだから
生活の全部が
その人の人生全部が源になっていて
それらがあって初めてわたしは与えてもらうことができる。

だから
わたしのお財布にはちょっと苦しいものでも
本当に欲しいと思ったら
高いとは思わない。
その人の人生を思ったら
高いという言葉なんて出てこない。

私にとっては高価だなとはやっぱり思うけど(笑)
こういうものを買えるのは幸せだなと思うし
その人が人生をかけて作り出しているものを
形として手にすることが出来るって
なんて幸せなことだろうと思うし
わたしにお金を稼がせてくれるお客さまや家族や周囲の人たちに感謝する。

そして
自分が生み出しているものも
誰かの幸せになっているかもしれないことを想う。
与えている立場としての自分を
そこに観る。

それはなにも
ものを作って売るだけでなくて
お金が発生していないことだとしても
わたしたちはいつだって何かを誰かに与えているし
与えられている。

ついつい与えられていることにばかり意識が行く時があって
申し訳ないなとか
自分は何も与えていないのではないか?と
心配になったり
自己嫌悪に陥ったりするのだけど
そんなことはない。
きっとそんなことはないのだ。

お金はエネルギーだと言われるけど
それをちゃんと理解しているだろうか?

エネルギーは枯渇すれば
その人は枯れてしまう。
なにも受け取れなくなって
なにも生み出せなくなってしまう。

ご飯を食べなかったら
ひとは死んでしまう。

おいしいご飯を作りたいし
おいしいご飯を食べたい。
食べさせてあげたい。
食べさせてもらいたい。

お金の循環だってそれとまったく同じだよねって思う。

シンプルなことほど
見えにくいね。

そういうものに目覚めていたいなぁと思う。



というわけで
ことしも稲吉先生のリングをたんまりと買った(笑)
こんなにわたしを豊かな気持ちにしてくれているって
稲吉先生は知っているかな?

この幸せな気持ちが
わたしの気持ちを晴れやかにして
インスピレーションを受け取れるようにして
わたしを笑顔にして
わたしの周りの人まで幸せにしている。

だからわたしはこれからも
欲しいものを大切な気持ちで買って
幸せでいたいなって思う。


稲吉正一展
「CHARMS  石たちの小さな世界」
恵比寿三越1階 クロスイーギャラリー
11/22~28(木)まで
11時〜20時(最終日19時まで)

















2013/11/12

しょうもないのがデフォルト


昨日あることをきっかけに
自分の中にある劣等感にフォーカスしてしまったら
どこまでもどこまでも劣等感にどっぷりハマってしまって
まったくなんだかなぁと
そんな自分をどこかで俯瞰しながらも
しんどくなってしまった。

わたしは瞑想というものに向いていなくて
あるいはただ嫌いなだけかもしれないけど
うまく出来たためしがないし
全然気持ち良くも楽しくもないから何度も試した事もない。

でもダンスとかランニングとか
ひとりで黙々と体を動かすのは好きなので
日頃の運動不足解消のために
週に何度か走っている。
走っていると言っても
土手で誰よりもゆっくり走ってるだけなんだけど。。。

そこで劣等感てなんであるのかな?とか
そもそもわたしのこの劣等感ってどこから?とか
いらないから手放すにはどうしたら?
なんてことを考えていたらいつものランナーズハイ状態になる場所に来た。

この状態になるとなんとなくいつも体は勝手に気持ちよく走っていて
心臓も元気にビートを打ち
体は軽やかに何の負荷も感じない。
そういう時は頭の中もその気持ち良さ故か空っぽに近い状態になる。

しばらくその気持ち良さを堪能しつつ
マイケルのダンスナンバーをガンガンかけて走っていたらいきなり

「そもそも人間ってのはしょうもないもん」

っていうことばが脳にアタックするように入ってきて
それがリピートされた。何度も。

そうだよな。確かに劣等感なんて誰だって持ってる。
自分の事をつまらない人間だと思うことだって
多くの人はあるだろう。

しょうもないのがデフォルトなんだよ。たぶん(笑)

だからそんな自分に嫌気がさしてみんながんばるんだろうね。
出来ないから出来るようになるまでがんばる。
わからないから勉強する。

そう思ったらいつまでも劣等感について考えてどこまでも落ち込んでないで
さっさとやれることやるのみなわけで。

走ってるのだってそう。
あ〜今何キロ目だ。ここがいつもきついんだよね〜とか
あと何キロ〜〜〜あ〜苦しい〜とか
そんなこと思ってると本当に苦しくなるけど
気持ち良さを堪能しながら無理しないで走っていたら
勝手に走れる。

うだうだ言って考えてばっかりいるよりも
5分でも10分でも走れば走っただけ心肺機能はあがるし
筋力も体力もつく。
考えないでやるのみ。


とはいえ
こうしてとことん考えてたからそんな風に思えるのかもしれないし
たまにはうだうだするのも良いのかもしれないけれど
人間しょうもないのがデフォルトだと知ってたら
いろんなことが楽だよねって思う。


いつでも自信を持っていられたら楽しいかもしれないけどね。
所詮無理な話だと思う。


しょうもないのがデフォルト。
みんな地味にがんばってるんだよね(^^)


あ、もちろん「オレはしょうもない人間なんかじゃない!」って方もいるよね!
一緒にすんなって言われちゃうね。
すいません(^^;

いろんな人がいるのが世界ですからね(笑)