小人のアリエッティとその家族は、人間が寝静まった夜に人間の家の中から「借り」をして、自分たちの生活に必要な物を得て、人間の家の軒下に暮らしています。
小さな小人たちからしたら、「借り」はそのまま「狩り」でもあります。
人間に見つかったらいけないし、人間が使う物は大きくて、彼らにとってはちょっとした段差も崖のように立ちはだかっているので、大変に危険です。
その小人の視点は、小さい頃にわたしはよく空想して遊んでいたので、なんだか嬉しかったり懐かしかったりしました。
小さなマスコット人形のお家を作ったりして遊んでいましたからね。(笑)
わたしのお箸はこの人形にとっては柱になるなぁとか。(笑)
「わ!子どものときにわたしが空想していたのと同じことしてる!」なんていう場面がいくつもありました。
アリエッティたちは自分たちが生活しやすいように、人間の使っているものを非常に工夫してアレンジして便利に生活していて、そのセンスは抜群に良く、生きにくい環境の中でも楽しく美しく部屋を飾ったりしています。
生活を楽しむ。わたしはそういうことが大好きです。
生きるということは、食べることであったり、食べるために料理することであったり、掃除や洗濯をすることであったりという、生活を整えることが大きな割合を占めています。
いつもきれいな環境で、清潔な服を来て、たのしくおいしく食事をいただく。
生きることの基本です。
今の時代はそういうことよりも、仕事などで忙しくしている方がなんとなくかっこ良く見えたりするので、忘れてしまった感覚をあの映画が思い出させてくれたような気がします。
暮らしを豊かに楽しむ。
それはわたしにとっても、とても大事なことなんだなぁと、あらためて感じました。
豊かにとは、ゴージャスにという意味ではなくて、与えられている環境の中でいかに気持ちよく楽しく工夫出来るかなんだなぁと思います。
「あれも欲しいこれも欲しい、でもそんなお金ないよぉ」と思うことがときどきあります。
でもそうじゃないなぁと思いました。
工夫して作り出すということは、シンプルで、でもとてもクリエイティブなことなんですね。
今あるものを大切にすること。無いものを欲しがるよりも。とてもクリエイティブだと感じました。
そして生きるために必要なものはすべて借りているという世界観。
これにも心を動かされました。
これを観ていて、わたしたちも地球の大切な資源を借りているに過ぎないのだなぁと思ったのです。
私は石をたくさん持っています。
でもこれらも、すべて借りているのですよね、厳密に言えば。
わたしの手元に今はあるけれど、わたしが死んだらあの世へは持って行けません。
誰かに譲るにしても、そのひとだって死んでしまったら持っては行けないのです。
だから、結局は地球に返さなくてならないのかもしれないなぁと思います。
石だけでなく、物質はすべて最終的には地球に返すのですよね。
そういうことを、石のことを教えてくれているハマダヨーコさんもいつもおっしゃっています。
わたしたちはこの循環の中で生きているということは、忘れてはいけないものなんだろうとあらためて思いました。
映画を観て以来、家の中をきれいに整えたり、使いやすいように工夫したりしています。(笑)
ひとつひとつの物や道具を改めてみつめてみて、それらを使いやすいように配置したり整理したり、きれいにホコリをふいたりしていると、そのものたちがなんとなく活き活きしてくるから不思議です。
わたしはいつも物がたくさんないシンプルな生活がしたいと思っていますが、なかなかそれは難しいです。
でもこれから先の人生は徹底的に引き算になっていくような気がしています。
最終的に晩年には(いつ死ぬかなんてわからないのですが長生きするつもりです。笑)自分が管理出来るだけのものや人間関係の中で豊かな毎日を過ごしたいなぁと思います。
循環の中に慎ましく生きる。
わたしの憧れている生き方だなぁと、アリエッティを観ていて思いました。
で、最後に上の写真のことですが(笑)、うちの庭を家の中から見た写真です。
マンションの一階の小さな庭に、バナナが大きくなりました!(笑)
長男が植物を育てるのが好きでいろいろ育てているのですが、なんと近くの土手に暮らしているホームレスの方に知り合いがいるらしく、そこでバナナの木(実際バナナは木ではなく草のくくりなのですが)をもらって来たのだそうです。
土手では実を付けているそうで(!)、うちのもできるのかな?と楽しみにしていますが、いっこうに花が咲く気配がありません。
でも葉っぱはどんどん大きくなって、今では私の背よりも高いです。
葉っぱが大きくなりすぎて、洗濯物を干すのに一苦労ですが、なんとなくアリエッティ的だなぁと思ってそれも楽しんでいます。(笑)
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