手先も思考もわりと器用なのは小さい頃からなので、なんでもなんとなくこなせてしまって、それでも周りからはそれなりの評価をもらってきたように思います。
ここ数年で、心の中のいろいろや考え方のパターンを転換する機会を自分に与え続けています。
それはなぜかというと、変わりたいなと思うからです。
もっと自分の思うことをしてみたいし、もっと自分を信じてみたい、もっと親としてしっかりとこどもたちの才能を引き出してやりたい、もっと人生を楽しみたい、それから後悔をしたくない、そんな欲がたくさんあるからです。(欲張りですね。こうやって書いてみると。笑)
そうなるために出来ることで、一番手軽にできのが「いろいろな場面でベストを尽くすこと」なんじゃないかと思っています。
でも何事も完璧にやろうとすると苦しいですし、苦しいことは続かないので、そうではなくて「今この瞬間の自分にとってのベスト」をいつも探してみるということなんです。
私の場合、すごく些細なことでも「この状況でのベストとはどこまで?」というふうに考えます。
例えば、昨日で言えば、夜11時、すごく眠くて寝不足で、でもお風呂からあがったら家族のシャツのアイロンがけが5枚も残っている。全部やり終えるには30分はかかるなぁ。
それから明朝の朝ご飯の仕込みをしなくてはいけない。それも入れると50分かかるかな?
ここでわたしはどうやってベストを尽くそうか?
よし、この眠さは尋常じゃないし、寝不足はイライラのもとだし体も壊す。だからアイロンがけは夫に頼んで朝ご飯の仕込みをしっかりして今日は寝よう!(眠いから何もかも後回しにして寝てしまおう!と思う前に「今のベストとは?どこまでならギリギリやれる?」と考えてみる。)
みたいな感じです。
夫に頼んでいる時点でベストを果たしているのかどうか怪しいですが(笑)、でも昨日の夜の時点ではわたしのベストを尽くしたと思っています。
元気なときはアイロンがけをして、まだ余力があればアクセサリー製作の仕込みなどまでやってみる、それがその日のベストのときもあります。
夜眠くても、ブログの更新をしていない事がちょっと気になったとすれば、気にしたまま寝てしまうと後悔するか自分を責めてしまう事もあるので(それは嫌なので)「よし!ブログだけは書いて寝よう!」という日もあります。
やることをやってみて「これでベストは尽くせているだろうか?」ということを、多いときは日に何度も考えています。(ベストかどうかなんてまったく考えられないほど余裕のない日ももちろんいっぱいあります!昨日がそうでした。 笑)
これは義務感がでてきたり、やりすぎてしまうと精神的によくないと思うのですが、ほどよくやっているとだんだん自分の生活や人生のクオリティが上がってくるような気がします。
できなかったことがいつの間にかできるようにもなっています。
なぜこんな話しを書こうと思ったかというと、最近「It と呼ばれた子」という本を読んで、著者の「ベストを尽くして生きる」生き方に感動したからです。
あまりにも衝撃的な本だったので、たくさんの心の動きを、読み終えて数日間は引きずってしまいましたが、「いつでもベストを尽くす」という生き方は、とても創造的で建設的だなぁとあらためて思いました。
もちろんわたしにはこの本の作者のような強さも持ち合わせていませんし、同じように、とも思っていませんが、いつでもベストを尽くそうと思うことは、自分の行動に責任を持つきっかけにもなるような気がしています。
それに、ベストを尽くしていれば、あとでうまく行かなかったときもあきらめがつきます。「あのときのベストは尽くしたはず」と。
もちろんさっきも言いましたが、「ベストなんか尽くせません!」という日だってあるのですけどね。
まぁそれはそれで人間なので、そんなこともあるでしょう。「明日がんばろう!」と思い直せればいいかなと思います。
ベストを尽くすって、結構気持ちが良いことです。
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