わたしは震災のずっとまえから「なくしていくべき」と思って署名運動などに参加していました。
昔は必要だったろうし、最初は豊かさを日本にもたらしたのだろうと思います。
でも今は???
これから天変地異は否応無く地球のあちこちで起こるだろうと思われます。
それは地球にとってとても自然な事として。
だけどわたしたち人間には都合が悪い。
そしてさらに天変地異によって原発事故が多発したら・・・
それを思うと怖いです。
そんなことが起きたら人は太刀打ち出来ない。
もちろん、いつか人が絶滅する日が来るとしても、それが自然のサイクルの中で起こるのはあり得ない事じゃないと思うので、仕方ないなとも思うのですが、原発や核戦争が原因で人類が大きなダメージを受けてしまうのは、なんだか納得がいかないのです。
今すぐには絶対に無理だとしても、長い時間をかけてでも、出来る限り原発に頼ることのない世界をつくっていきたいなぁと、心から思います。
今までを否定するのではなくて、これからを考えたいのです。
そこへ向けてエネルギーを使いたいなぁと。
原発反対!と叫ぶよりも、わたしは新しい世界を作り出すところにエネルギーを注ぎたいし、今この苦しさを取り除くためにはどうしたらいいか、そのためにどんなクリエイションができるか、そういう部分にエネルギーを注ぎたいと思います。
原発がなくなったらお金が入ってこない、そういう問題もあるのかもしれない。
だけど、わたしたちはもっとクリエイティブな才能を持っていることを忘れてしまったのだろうか?と思います。
いつだって新しいやり方を作り出して行けるのが、人間の素晴らしいところだと思います。
過去にしがみつかないで、変化に富んだ未来に進み続けることは勇気がいるけど、とても楽しいことではないかなと思います。
人間の持っているたくさんの才能を開花させつづけること、それが生きる意味なんじゃないかと、なんだかそう強く思います。
人間ってものすごく創造的で、めちゃくちゃ進化出来る、とってもおもしろい生き物だよね〜って思います。
眠っている部分がたくさんあるのだろうなと思います。
それを目覚めさせるように生きたいです。
本当に、無理なくできる範囲で。
わたしたちは思っている以上に創造的な生き物なんだと思います。
今日はちょっと、本音を話してみました。(^^)
ありがとうございます。
原発を反対するよりも、原発に替わるものを推進することに力を注ぎたいそう思ってます。そういう関わり方をしています。反対のエネルギーは、反対を呼ぶだけのような気がしています。利権者による、圧力構造があるのは事実。原発で救われた生活があるのも事実。原発の亜流で、放射性廃棄物を再利用するエネルギー開発もあって、これは負の遺産を減らせる可能性。色々あるよね。
返信削除この日常の速度間の中で、生活をするためには、利便性は確保される必要があるというのもある。日本の借金問題、世界経済との繫がり、政治的側面、単純な入れ替えでは済まないといえば、それまでだけど、
便利さを手放すのではなく、人間としての豊かさをとる、という発想が根づけばいいような気がします。いろいろね、思うんだけど、自然は偉大だし、守りたいよね。
さやちゃん
返信削除いろいろな複雑な事情や事象があるのはもうあるんだけど、やっぱりわたしも「反対」というところからエネルギーを動かすのは辛いです。自分に合っていない。
辛いやり方はつづかないしね。わたしもあたらしい創造へエネルギー使いたい。そのほうが自然に感じます。
ただ、小さな子どもをかかえていたりすると、それこそもうこの命をいかにして守るか?みたいな気持ちからの行動になってしまうので、けっこう「これは反対!」「こんなのやめて!」みたいになってしまうのはなんとなく解るので、そういう意味で反対する事っていうのも必要かなとも思う。
反対するエネルギーがたくさんの素晴らしい事を生み出したってことも、きっと世界にはあるだろうしね。
みんな違う事ができるよね。わたしが出来ないことを誰かがやってくれて有り難いです。反対する事はわたしは嫌だけど、やってくれる人がいることは有り難いです。
なににせよ、そうなの、自然は偉大。わたしたちもその一部。だからみんな守りたいんだよね。
守り方がいろいろあるなぁと、方向性もいろいろだなぁと思いつつ、わたしはさやちゃんと一緒な感じの方向がいいなぁと思います(^^)